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アルゼンチン・フォルクローレ舞踊の先駆者たち
¡ エパ! コンセプト/concept
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アルゼンチン・フォルクローレ舞踊の先駆者たち (1)


いまはみんなが参加する時代だ
 ~チャカレラータ・サンティアゲーニャの Juan Carlos Gramajo インタビュー」

                                     por 長野太郎


 チャカレラータ・サンティアゲーニャといえば、おなじみのフォルクローレ・ダンス専門楽団です。
 みなさん、伴奏楽団の役割について考えたことがありますか?ぼくらが踊ることができるのも、録音であれ、生演奏であれ、伴奏楽団あってのこと。でもこれが意外とムズカしい。曲がきれいでも踊ってみると退屈だったり、かっこいいけど踊りにくかったり。踊りの伴奏は見た目ほど簡単なことではないのです。
 その点、チャカレラータの演奏は素晴らしい。第一印象は、地味でヤボったいけど、踊り始めるとすいすい体が動き始める。それに、アットホームでにぎやかな雰囲気の中に、いつの間にか取り込まれてしまうのです。
 そんな彼らの演奏で、いつもかけ声をかけている、例のオヤジさんがチャカレラータ・サンティアゲーニャのリーダー、フアン・カルロス・グラマホ氏。いつか会ってみたいと思っていました。
 2000年8月末から約3週間にわたって、アルゼンチンを訪れたときに、念願かなって、グラマホ氏にインタビューをすることができました。実際に会ってみると、見た目や声の感じと違って、実に真面目で親切な人物でした。遠い日本からの訪問者をあたたかく迎えてくれ、なんと2時間にわたって自分たちの音楽について、するどい分析を交えながら、熱弁をふるいました。
 とくに、半世紀近くにわたって、ダンサーたちの背中を見つめてきたベテランだけあって、音楽と踊りの関係をめぐる意見は注目にあたいします。
 インタビューは長時間にわたり、そのすべてを紹介することは難しいので、話しの大筋を、このようなかたちでまとめてみました。
 きっとグラマホ氏の言葉に、大きく勇気づけられると思います。
(2000年9月13日、ブエノスアイレスにて)


----まず簡単に経歴を教えてください。
----グラマホ(以下 G) 私の名前は、フアン・カルロス・グラマホ。サンティアゴ・デル・エステロ州のラ・バンダ市生まれだ。兄弟の多くは音楽家、両親はダンサーで職人というファミリーの中で育ち、私もじいさんからボンボの作り方と奏法を受け継いだ。

 ごく普通のサンティアゲーニョとして生を受けた私だが、やがて真剣に音楽活動を志すようになった。まずは、地元のダンス学校や演奏グループがふりだしだった。ロス・レテーロス(怒りん坊たち)という名のコーラス・グループで歌っていたこともある。

 それから、友人の口利きで、ちょうど全国巡業に向けて準備中だったアンドレス・チャサレータ舞踊団に紹介してもらった。舞踊団は総勢21名、サンティアゴの伝説や風習を再現する舞台を上演することになっていて、私はボンボ奏者兼ダンサーとして加わった。一座は、ブエノスアイレスのカジノ劇場を皮切りに、全国各地を巡業してまわった。1956年のことだ。

 その後、私は風の吹くままに、北へ向かい、ボリビア、ペルー、エクアドル、パナマ、ホンジュラス、コスタ・リカ、グアテマラと旅をして、メキシコにはずいぶん長くとどまった。メキシコを拠点にして、世界中に足をのばして踊り、カリフォルニアにも1年と4ヶ月いた。その後アルゼンチンにもどり、ブエノスアイレス市内のペーニャにボンボ奏者の仕事を得た。

 70年代に入って、フォルクローレの演奏家たちと舞踊団からなる文化使節団のメンバーとして、約二ヶ月半のソ連公演をおこなった。帰国後、公演を準備中だったピアノのマエストロ、アリエル・ラミレス から声がかかり、ブエノスアイレスから全国をまわるツアーに参加。続いてスペイン,ポルトガルなど、海外でも公演した。その頃は、ラミレスの関わるショーには、必ずパーカッション奏者として加わったよ。

 マエストロとは8年近く一緒にやったが、やがて独立した。自分のグループを持ちたくなったのでね。仲間を集めて、ラジオ、テレビ番組に出演したりしていたころ、アバロス兄弟のビティージョが、グループ名のアイデアをくれた。彼がいつものように冗談めかしてこういった。

 「なあ、フアン・カルロス、バリローチェには『カメラータ』(注1)があるんだから、サンティアゴに『チャカレラータ』があってもいいんじゃないかい?」

 で、その名前がえらく気に入ったというわけだよ。サンティアゴ州内ではケチュア語が話されている。バイリンガルの人々は、「チャカレラータを歌おうぜ」「チャカレラータを踊ろう」なんて言い方をする。チャカレラータというのはチャカレーラの愛称のようなものだ。

 そんな風にして楽団の名前が生まれ、デビューアルバムを録音。86年にはコスキン祭でのパフォーマンスが表彰を受けた。その後、アメリカのマイアミで1シーズン公演をおこない、CD『レバンタンド・ポルバレダ(土埃を巻き上げて)』を録音した。これまでに、アルゼンチン国内のほとんどのフェスティバルで演奏したし、パラグアイ、ボリビアでも公演した。

 チャカレラータ・サンティアゲーニャの音楽は、新鮮で、わかりやすく、サンティアゴの音楽らしさを決して失わない。ついこないだは、ミゲル・アンヘル・サラビアのフォルクローレ舞踊団総勢25名とともにスペインで19公演をおこない、国際的なフェスティバルにも出演した。評判は上々だった。

 とまあそんな具合だが、はるばる遠い日本からやってきた君が、われわれの音楽に親しみを感じてくれるのを嬉しく思うよ。

----話しが少し後戻りしますが、チャカレラータの初期の活動についてもう少し詳しく教えてください。

----G まあ、一言でいえば、うまくいったのだな。チャカレラータの人気の理由は、サンティアゴ・デル・エステロの田舎の風習を舞台上に再現することにある。もちろん、うまく計算して、だ。人々はその新鮮さと本当らしさによろこんで、拍手喝采するわけさ。

サンティアゴではペーニャが成功しないのがなぜかわかるかい?それは各家庭がペーニャだから、必要がないのさ。うまいエンパナーダを食べたければ、家庭料理しかないように、音楽もそうなんだ。たぶんサンティアゴが独特なのは、ケチュア語のせいじゃないかな。

----サルタはどうですか?

----G 素晴らしい。すぐれた詩人と歌手を輩出した、美しい州だ。自然も人も美しい。それに、サルタはいつも動いている。ロス・ノチェーロスの人気がいい例だ。彼らは、ルシアーノ・ペレイラやソレダーといった若い連中の一角としてがんばっている。若者が活躍しているのは素晴らしいことだ。

----フォルクローレが停滞した時期もありましたか?

----G いずれ変わるという望みはもっていた。大事なのは、舞台の上から、また録音を通じて、どういう仕事をするかだ。われわれはいつも、古い曲と新しい感覚の曲の両方を演奏するようにしてきた。いまでは、アルゼンチン中のダンス学校や舞踊団がチャカレラータ・サンティアゲーニャの音楽で踊るようになった。なぜなら、リズムが陽気で伝染しやすいから、ダンサーたちを元気づけるんだ。

----80年代には他にあまりダンス楽団がなかったこともありますよね。

----G そうだね。われわれは啓蒙的催しもすれば、コンサートもする、フェスティバルでも演奏する、ペーニャやクラブでもやる・・・つまり、どんな人々とも交わることができるのさ。いまは人々が参加する時代だ。だから、私はサンバを一緒に踊ってくれる女性を必ず客席から招き入れることにしている。

----どうしてサンティアゴの音楽がこれだけ人気を獲得したのでしょう。

----G サンティアゴ音楽には、脈々と受け継がれてきたものがあるからさ。それに、アルゼンチンでいろんな催しに積極的に集まってくるのは、みんなサンティアゲーニョなんだ。サンティアゴ州内におよそ60万人が暮らしているとしたら、同じだけの数が州外で暮らしている。外国にもたくさん出ている。でも、どんなに離れていてもサンティアゴに生き続けている。だから、そういったことがみんなサンティアゴのものを支持する傾向につながってくるわけだね。

----伝統的だけじゃなくて、創造性ゆたかというのもありますよね。

----G もちろんだ。テクノロジーや世界の進歩には逆らうことができないんだよ。若者はそういう時代に生まれ、それが好きで、そういう形で表現するのだから。それと、むかしの音楽家は微動だにせず、まじめくさって演奏していたが、演奏は動きながらだってできる。だから私も、ボンボを叩くときは体を揺さぶったり、足を踏みならしたり、いろいろする。サンティアゴの花火を使ってみたり。そういったことは、舞台に動きを与え、豊かにするんだ。

----どこからそういうアイデアを得たんですか?

----G 私はいつも、サンティアゴの埋もれた無名の人々を掘り起こそうとしている。たとえば、ナチ・ゴメスじいさんという人がいて、踊りやボンボの叩き方、舞台での立ち居振る舞い、すべて強烈だった。

----つまり、むかしからそういう人たちがいたわけですか。

----G もちろんだとも!

----88年にコスキンで初めてチャカレラータの舞台に触れたときは新鮮でした。たくさんのゲストが舞台にあがっていて、あなたのお兄さんのアウレリオ(シャラコ)やおばあさんが踊ったりしていた。

----G 私はそういった舞台が好きなんだ。時間と場所に余裕がある限り、子供からじいさんばあさんまで、あらゆる年齢層の人たちをあがらせる。それぞれのスタイルをアピールさせるためにね。兄アウレリオのことだが、あるときペーニャに客として来ていた。たしかエスコンディードか何かを踊った。あの、ちょっと猫背気味の大男が、気の向くままに、おもしろおかしく踊るんだ。それを見て、いつかこのキャラクターを使って何かやろうと思った。

----でも、彼はダンサーではないんですよね。

----G 気の向くままに表現しているだけさ。サンティアゴの田舎の老人たちと一緒でね。左から踏み出そうが、右から踏み出そうがお構いなし。自分のやり方をするだけ。ゴメスじいさんもそうだった。彼はアタミスキあたりの田舎の出身だったから、マジメに踊っていてもおかしかった。別にわざと滑稽にしているわけじゃないのに、肩の位置や腕の構えから、とても滑稽だった。

----別に大げさにやっていたわけじゃなく・・・

----G いや、そのままふつうに。私はこういう職業についたことにとても感謝している。さっきも話したように、私はごくありきたりの人間だ。たまたま音楽家になり、特に教育を受けたわけでもない。ただ、世界を旅していろんなことを学んだ。私は人生に感謝している。なぜなら、好きなことをして暮らす以上のことはないからね。

----あなたは音楽家、ダンサー・・・何なんでしょう?

----G 私は長年の経験から、観客というものをよく知っている。だから、舞台に上がる前に客が何を望むかを判断することができる。そして楽団のメンバーに、どういう曲を弾き、何を伝えようとすべきか言うことができる。経験のたまものだ。なんにせよ、ステージを支えるのは観客だ。われわれをあたたかく迎え、拍手を送ってくれるのも観客。われわれはそれに支えられて前進できる。

----どうしてインスト・グループを作ろうと考えたのですか。

----G 音楽には歌、演奏、動きの三つがある。私はその中で踊り(ダンス)が前面にでるべきだと思っている。ダンスはお客がよろこぶものだから。残念なことに、最近はお客がきちんと歌を聴かない。だから、われわれは歌よりも踊りをクローズアップするわけ。

----チャカレラータは聴かせるより踊らせる演奏をするのがユニークですね。

----G そう。残念ながらアルゼンチンにはいい音楽家が多いのに、自分のために弾いてしまうことが多い。名演奏というのは自己満足なんだ。聴衆のことを忘れてしまう。私は技巧といったものに興味をもったことがない。演奏というのは、心の内から生まれるものだ。それなのに、超絶技巧を見せつける演奏はそうじゃない。

----出演する場所によって演奏のスタイルが変わることはありますか。

----G もちろんさ。われわれは小さい舞台、中くらいの舞台、大きい舞台、どんな場所でも合わせるよ。

----フォルクローレでは、最近若い人たちの活躍が目につきますが、いわゆる「若者の歌(カント・ホベン)」についてどう思いますか。

----G 「若者らしいやり方」というならわかるけど、「若者の歌」なんて言い方は意味がないね。それに、クティ&ロベルト・カラバハルがバンドに金管楽器を採り入れたとき、みんな新しいことのように言っていたが、それは違う。そういったことはとっくの昔に試されていたんだ。

----若者のやっていることについては?

----G 彼らに罪があるわけじゃないが、過去にもいろいろな試みはあったってことは知っておくべきだし、重要なことは、楽器の組み合わせ方と、演奏法だ。

----つまり最近の演奏はよくないと?

----G よくないね。たとえばピックアップ付きのギターを使うとすれば、それなりの弾き方がある。それと、いい楽器を使うことも重要だ。でないとキチガイに刃物。楽器を使いこなすのも音楽家の仕事のうちだよ。

----あなたは若者のことが気がかりですか。

----G 子供がいないもんでね、若者が好きなんだよ。私は結婚したのが遅かったから子供がいない。子供がいたらこういう仕事はできないと思いこんでいたんだが、とんでもない、仕事も子供も両立させる人は多い。つまり誤解していたわけだ。でも、若者は好きだ。あとは老人と、恋人たちも好きだ。だから、なるべく彼らにチャンスを与えるようにしている。

----なにかメッセージはありますか。

----G もちろん。フアン・カルロス・グラマホは、民衆の音楽であるフォルクローレを勉強し、実践している、すべての若者を祝福したい。なぜなら、若者がいるからこそ続いて行くんだ。君たちに未来がかかっている。だから、この音楽にかかわってくれてありがとう。この音楽は家族のようなものだ。みんなの成功と前進を願っている。私も若い頃にこの音楽に夢中になった。だから、いま同じような若者を見てうれしい。すべての若者の幸せを祈るよ。

注1: アルゼンチンには、カメラータ・デ・バリローチェ
という、有名なクラシックのアンサンブルがある。






 





コンセプト/concepto



¡ エパ!は、ラテンアメリカの音楽&ダンスをベースに、新しい“ポピュラーダンス”の可能性をさぐるプロジェクト。「エパ」( ¡epa! )という名は、アルゼンチン人などがびっくりしたときに口にするスペイン語の感嘆詞からとりました。


エパ!の出発点は南米アルゼンチンの伝統舞踊(フォルクローレ・ダンス)。このダンスに魅せられた長野太郎と塚田美紀は、1992年に初めてコンビを組んで以来、国内で多数のイベントに参加してきたほか、アルゼンチンでの音楽祭出演、ライブ・レストラン定期出演、タンゴ・ダンサーとのコラボレーションなど、実績を積み重ねてきました。

アルゼンチンのフォルクローレ・ダンスの特徴は、リズムの複雑さと、優雅でダイナミックな動き。ガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)の踊りとも言われ、どことなく馬の脚を思わせる足さばきや、全身で表現する躍動感が見どころです。

伝統舞踊を踊ることは、それはそれとして奥が深く、いまもエパ!の活動の重要な一部分です。しかし、1999年から正式に「エパ!」を名乗って活動開始したのは、そんな伝統舞踊を伝統的なかたちで踊ることに飽き足らない部分が出てきたからでした。

エパ!は、インスピレーション源として、斬新かつ“踊り心をかきたてる”アレンジでフォルクローレ音楽の遺産を革新的に受け継ぐ若手ミュージシャンの音を探し求めながら、ラテンアメリカの広い地域で踊られてきたダンスの歴史に思いを馳せて「サマクエカ」という作品を振りつけたり、1950年代にラテンアメリカのみならず世界中を熱狂させた「マンボ」に注目しチャレンジするなど、その時々に人々を幅広く魅了し踊られていくダンス=“ポピュラーダンス”の姿を追いかけています。

2002年からは、アンデス民俗楽器、バイオリン、マンドリン、鍵盤ハーモニカ、各種パーカッションなどの楽器にダンスが加わる自称「ハイブリッド混成楽団」として、音楽とダンスが融合するパフォーマンス・グループを目標に活動を展開中です。





¡epa! es un proyecto para buscar la posibilidad de la danza popular en base a música y baile latinoamericanos. El nombre es proveniente de una interjección utilizada en América Latina, sobre todo en Argentina, cuando se da susto.

El punto de partida del proyecto ¡epa! fue danzas folclóricas argentinas. Taro Nagano y Miki Tsukada, amantes de dichas danzas, formaron pareja de baile por primera vez en 1992, han desarrollado la actividad en eventos, festivales, espectáculos, etc. Se han colaborado con los bailarines de tango también.
Las danzas folclóricas argentinas se caracterizan por su riqueza rítmica, elegancia y dinamismo. Suelen llamarse también “baile de gauchos” que nos hace recordar de los pies de caballo de cuyo movimiento enérgico trata de imitar.
Bailar danzas tradicionales, desde luego, lleva su misterio y profundidad y forma parte de la actividad que desarrolla el grupo ¡epa!, sin embargo, fue justamente el hastío por seguir haciendo lo tradicional de modo tradicional que nos llevó a iniciar el nuevo proyecto.
El proyecto ¡epa! toma su fuente de inspiración en la música de quienes intenten renovar el legado de la música folclórica con arreglos frescos e innovadores, lo cual nos incita a crear nuevo de lenguaje de cuerpo y nuevas coreografías. Tratamos de rescatar el fervor de danzas populares que hicieron época, cuya búsqueda se ha concretado en piezas como la “zamacueca” y el “mambo”.
En 2002 comenzamos a formar una banda musical híbrida que integra la danza con los instrumentos musicales tan variados como quena, zampoña, charango, violín, mandolina, guitarra, harmónica de teclado, percusión, entre otros.





¡epa! is a project to find out a possibility of popular dance based on latin-american music and dance. We took this name from an interjection used in Latin America, especially in Argentina, when one is surprised.

The starting point of this project ¡epa! was dancing Argentine folk dance. In 1992, Taro Nagano and Miki Tsukada, having been lovers of that dance, formed a dance pair, and since then, they have performed at many events, festivals, spectacules, etc. They have also collaborated with the tango dancers too.
Argentine folk dance can be characterized by its rich rhythm, elegance and dynamism. It is so often called “gaucho(=argentine cowboy) dance” which reminds the audience of the tiptoe of a horse, of the energetic movement which this dance is regarded to imitate.
Dancing this traditional dance, with no doubt, brings something misterious and profound both to the dancers and audience, and that makes an important part of the activity of our group ¡epa!. But just to keep doing something traditional in a traditional mode appeared to be a little boring as we thought of starting a new project.
The project ¡epa! takes its inspiration from the music of those who intend to renew the legacy of latin-american folklore music through fresh and innovative arranges. With such music we started to create a new language of body and new choreography. We tried to recapture the fever of popular dance which made an epoch, and this challenge has brought it forth as such works as “zamacueca” (1999) and “mambo”(2005).
In 2002 we formed a hybrid music band that integrates dance with music which uses various instruments such as quena, zampoña, charango, violin, mandolin, guitar, “melodica”, percussion, etc.







このページは、“ ¡ エパ!”のHPの消滅(2015.5末)に伴い、記事等を再構成し当サイト内に移管したものです。
こちらの説明もご覧ください.。 >> )